酒蔵宮本第4番目日本酒、わかむすめ

醸造元:新谷酒造(しんたにしゅぞう)

獺祭の酒蔵があることで知られる山口県にある、小さながらも実力派の酒蔵。今回は「わかむすめ」を紹介したい。

福岡でも見かけることができ、山口県の酒屋を訪れると比較的よく並んでいる銘柄でもある。

日本語が分かる人であれば、若娘(若い娘)という意味だと誤解してしまいやすいかもしれない(私もそうだった)。しかし実際の漢字表記は「和歌娘」。日本の伝統的な詩である和歌を詠む少女を連想させる名前である。

和歌は、日本の四季の移ろいの中で生まれる繊細な変化を詠むことが多い。そのため、わかむすめのラベルも「月草」「薄花桜」「燕子花」など、季節や自然を感じさせる名前で展開されている。

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実際の花の写真を見てからラベルを見ると、ネーミングのセンス、ラベルのデザイン、そして実際の花が自然に調和していることに気づく。

新谷酒造の始まりは、今年で創業99年となる1927年にさかのぼる。初代創業者・新谷熊吉氏が、山口県で廃業していた酒蔵を引き継ぎ、新たに酒造りを始めたことが「わかむすめ」の歴史の始まりである。

その後、二代目蔵元が酒蔵を継いでからは、わかむすめは山口県内で広く親しまれる存在となった。しかしその時間は決して長くは続かず、三代目蔵元を継ぐ後継者がいない状況の中で孫が蔵元の座を引き継ぐことになる。ところが、長年わかむすめの酒造りを支えてきた杜氏が高齢のため引退し、酒蔵は大きな転機を迎え、やがて経営は破綻の危機に直面することとなった。

ここで一度押さえておきたいのは、新谷酒造が小さな酒蔵であるという点である。

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このような小規模な酒蔵において、数十年前という時代背景(当時は、ChatGPTやクックパッドのようなものが存在しなかった時代だったということも考慮しておきたい)の中で、酒造りのすべてを担っていた杜氏が引退した後、酒の味に変化が生じることは避けられず、その変化はやがて酒蔵の経営問題へと直結し、結果として破綻の危機に直面することとなった。

この時期から、酒蔵は蔵元(社長)夫妻による共同経営体制へと移行していく。

そして平成19年(2007年)、三代目蔵元は酒蔵の社長としての役割に加え、杜氏として酒造りの総責任を担いながら、経営面も含めてすべてを背負い、酒蔵を立て直すことに力を注いだ。それから10年という歳月が流れた。

三代目蔵元の言葉によれば、その10年は「あっという間だった」という。

その10年の間に、酒の味は次第に「わかむすめ」が目指す方向へと近づいていき、日本酒ファンの間でも「美味しい日本酒」として少しずつ認知を得るようになっていった。

しかし、ようやく訪れた安定の時期も長くは続かなかった。酒蔵の屋根を支える大梁が損傷し、建物が崩壊の危機に瀕したことで、再び廃業の危機に直面することとなる。それでも酒蔵は移転を決断し、新たな場所で再び酒造りを再開した。

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時を経て現在、山口県の小さな酒蔵である新谷酒造は、海外のさまざまなコンテストで入賞を果たし、日本国内の日本酒ファンの間でも「美味しい酒の一つ」として認められる存在となり、韓国の日本酒ファンの間でも広く知られる銘柄へと成長している。

以下に掲載する文章は、わかむすめの杜氏(蔵元の奥様)が自ら綴ったものである。時間があればぜひ読んでほしい。困難を共に乗り越えてきた人の言葉には、要約では伝えきれない力があると感じたため、ここでは原文をそのまま翻訳して紹介する。


田んぼに囲まれた田舎でのびのび育つ。小学生時代、男子からは「ブンコ」と呼ばれ、担任に名付けられたあだ名は「ブンちゃん」。
酒豪の父の晩酌に付き添い、酒の肴をつまみ食いするのが日課だった。


短期大学卒業後一般企業の営業部へアシスタントとして就職。入社二年目で会社設立以来、初の女性総合職第一号に抜擢。

認知症患者の安全対策として開発されたソフトウェアを病院や施設へ売り込みに歩く中、医療の現場で働きたくなり看護学校へ入学。4年間の学生生活を経て、看護師免許取得。病院勤務が始まる。

ところが現在の夫と出会い、元々酒好きだったことが幸いし結婚して酒蔵へ嫁ぐ。

この年全国新酒鑑評会で悲願の金賞を初授賞し、義母に「福を呼び込む嫁」と称され歓喜。さらにその日本酒を飲み、あまりの美味しさに心が震えた。

結婚翌年に長女を授かった喜びもつかの間、突然杜氏が病のため蔵を去り、それを機に蔵人、事務員も次々と去り、老朽化が進んだ蔵と、夫婦ふたりだけが残された。廃業を迫られる中、夫はたったひとりでの酒造りを決意し、平成19年に蔵の一部を一年中酒の仕込みができる四季醸造蔵へと改装するが、生活は行き詰まる。

再び看護師として働く傍ら、子供を背負って蔵へ通い、看護師と酒造り二足のわらじ生活が約8年続いた。

そして平成28年にひとりの若者が蔵の扉をたたき転機が訪れる。

「何もいらないのでここで酒造りの修行をさせて欲しい。イタリアで日本酒を造りたい。」

この言葉に、夫婦共々衝撃を受ける。これを機に自らも看護師を辞めて酒造りに専従することを決意。(この若者は後に農口尚彦研究所でも酒造りを学び、現在イタリアでの酒造りのため帰郷して準備中。)

しかし、酒造りに専従するや否や、今度は冷蔵仕込み蔵の梁が損傷、倒壊寸前になる。またしても訪れた廃業の危機に、現実を受け止めきれず茫然と立ち尽くし、時間だけがただただ流れた。

本当にこれまでか、どこにも活路はないのか。自問自答を繰り返し、行き着いたのはもう一度ここで酒造りの全てを見直し、国際コンクールへチャレンジしてみよう。それでだめだったら諦めよう。そんな想いだった。結果、全身全霊で醸した酒は仏の日本酒コンクール【Kura Master】純米酒部門 ゴールド賞。ブリュッセル国際コンクール【SAKE selection】純米酒部門 最高位プラチナ賞。

諦めるにはまだまだ早い。やりたかったこと全部やってから。夫とふたり、仕込み蔵の移設を決意。平成30年、新しいスタートを切ると同時に、杜氏のバトンを夫より受け継ぐ。

4代目杜氏として、ずっしりと重いバトンを握り締め、夢に向かって邁進中です。


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今回山口に行った際に購入した「わかむすめ 十二秘色」は、お酒があまり強くないこともあり、4日間に分けて3回に分けて飲んだ。

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甘すぎないタイプで、シャトーブリアンのような赤身の肉にも、だし巻き卵にも、サラダにも、さらには温かい鍋料理にもよく合った。

正確に言えば、鍋の中の野菜との相性が特に良かったように思う。

日が経つにつれて日本酒のアルコール感は少しずつ強くなっていったが、最後まで美味しい状態で楽しめたのが印象的だった。むしろ少しずつ味わいが変化していくことで飽きることがなく、三回に分けて飲む時間そのものも楽しさの一つになっていた。

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数多くの受賞歴があるからといって、その日本酒が必ずしも美味しいと断言できるわけではない。

しかし、小さな酒蔵である夫婦が幾度もの困難を乗り越え、山口で名を知られるようになり、さらに世界の日本酒コンテストで数々の賞を受賞するまでに至った――その過程を知ることで、「わかむすめ」という酒はより味わい深く感じられた。

この文章を読んでいる日本酒ファンの方々も、もし日本酒を手に取る機会があれば、ラベルのデザインと名前を見比べながら、花の名前を調べて飲んでみるのも面白いと思う。

花は思っている以上に美しく、瓶の雰囲気ともよく調和している。

Fin